名古屋クラブの歴史
年 代 | 特 記 事 項 | 時の会長名 |
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1949 | 7月5日、名古屋トーストミストレスクラブが認証された。 (詳細は『名古屋クラブのはじめ』に記載) |
A.L.Erickson |
1951 | 文部省から日本人が正式に会員になることが許可され、月2回、米国人と共に例会をもった。役員の任期は4ヵ月であった。 佐伯まさ江、水野しのぶ他、政財界夫人が入会した。会員M.大矢が通訳を勤めた。 議事録は英文で作成、発表された。 |
山本三重子 |
1962 | 例会の通訳はM.大矢と新木昌子が勤めた。 | |
1965 | 役員の任期が6カ月に改められた。(2月・7月に選挙) 通訳は専門の山下京冶氏に依頼した。 |
盛田 純子 |
1966 | 阪神クラブの誕生を祝って「インスピレーションブック」を贈った。 | 鈴木 宏子 田中 千枝 |
1968 | 5月17日、名古屋、阪神クラブが初めて京郡で合同例会を持ち、お互いによい刺激となり、親睦を深めともに発展するきっかけとなった。 | 菅原 愛子 荒川千枝子 |
1970 | 初めて任期のテーマ「世界は一つ」を掲げた。 会期の会計予算を立て、クラブで承認を受けた。(予算制度設定) 4月29日、阪神クラブと名古屋クラブの会員として指導して下さったMrs.Noonanがアメリカヘ帰国のため、退会した。 9月から外国人会員が皆無となり、日本語のみの例会となった。 名古星クラブのHistoryBookを作ることが決定した。 |
高柳 恭子 |
1971 | 阪神クラブと合同例会を企画、そのための資金を作るバザーをしたが、阪神クラブが辞退して実現しなかった。 | 滝 由喜 |
度々例会に出席し、プログラムにも参加された韓国領事夫人のMrs.C.Y.Moonが帰国することになり、4月19日、TeaPartyのお別れ会をした。 | 新木 昌子 | |
9月20日、名鉄犬山ホテルで名古屋クラブ20周年記念例会を行った。テーマは「年輪」。例会後阪神クラブ会員と共に明治村を見学した。 10月、水野、増田会員からの寄付金でストップウォッチと議事法関係の本(①Robert't Rules of Order.②Gleason's Parliamentary Digest,③How,What & When in Parliamentary Law)3冊を備品として購入した。 |
須知 繁子 | |
1972 | 8月24日、Ai Yokota ITC広報委員長が来日、名古屋クラブ会員有志と会食し、将来の発展のためカウンスルを組織するように、奨励指導をした。カウンスル設立準備委員会が名古屋、阪神、神戸3クラブの代表者によって発足した。 | 吉田千鶴子 |
1973 | 8月1日、日本カウンスルNo.1が設立され、初代カウンスル会長に名古屋クラブの新木昌子が就任した。 クラブ役員の任期が1年となり、例会が月1回になった。 |
豊田 寿子 高田 朝子 |
1974 | カウンスル例会にクラブ選出役員「クラブ代表」2名が出席した。9月7日、滝由喜会員死去。10月13日の例会で追悼会が行われた。名古屋クラブ25周年記念事業として名古屋地区に新クラブ増設が計画され、委員長に新木昌子が任命された。9月27日、25周年記念例会を東山会館で開催した。元会員森 君代からの寄付金でクラブバナーを備えた。 | 貴田 正子 豊島 知子 |
1976 | 2月9日、Mary Woodcock ITC副会長Div.Ⅵが来日、名古屋クラブ例会に出席した。初めてのクラブ増設活動で「葵クラブ」が誕生した。カウンスル会長盛田純子、第二副会長吉田千鶴子が増設委員長として更に新クラブ設立に着手した。 | 石川 浩子 |
1977 | 1月10日、Norma W.Ewin ITC副会長Div.Ⅵが来日、組織の説明、ニュースレター発行を指導し、4月、第1号の発行に至った。名古屋、葵クラブの協力で、本部より$1,600の補助を受けてITC教育マニュアルの翻訳が完成、12月に発行された。これがきっかけとなり増設活動が盛んになり、4クラブ(東京、錦、イースト神戸、九州)が誕生した。カウンスル会計に増田はるゑが選出された。例会場がクラブ東海から通信ビル2F、そしてトヨタビル5Fと変更した。 | 長谷川三四子 |
1978 | Ai Yokota ITC会長が再度来日、リージョン設立を勧めた。名古屋クラブ例会のプログラムでカウンスル分割を討論した。カウンスル会長に八代ふゆ子が選出され、クラブ代表はカウンスル派遣員となり数も2名から1名へ修正された。 | 竹内 宏子 |
1979 | Ai Yokota ITC会長は新木昌子へITC功労賞を送った。(教育マニュアルの発行)カウンスル会長に高柳恭子が選出された。9月、リージョン研究委員会ができ、白木、盛田、伊藤、が委員となった。 | 東浦ゆり子 |
1980 | 2月、カウンスル会計陸田久子さん(葵)が死去。後任に白木保子が選出された。3月、増田はるゑが、国際ソロプチミスト名古屋から「婦人が婦人を助ける賞」を受賞した。会則改正で第1副会長がプログラム教育委員長を、第2副会長が会員委員長を務める事となった.11月、ITC本部からトーストミストレスクラブの名称を変更したいので 各クラブで検討するように通達があった。 | 鵜飼恵津子 |
1981 | 第8代カウンスル会長Miss Paineの裁量により日本カウンスルを3つに分割した。No.1 会長に 吉田千鶴子(名古星、葵、東京、錦)、No.2 会長に三宮晶子(阪神、神戸、イースト神戸、九州、鳥取)、No.3 会長に江藤万里子(関西、大阪、芦屋、京都、平安、郁)が就任した。クラブ、カウンスルのスピーチコンテストで優勝した東浦ゆり子(名古屋)は、ITCテープ・スピーチコンテスト(英語)で優勝した。資格認証課程が発足した。11月16日、名古屋クラブ30周年記念式典をホテルナゴヤキャッスルで行った。テーマは「竹」。 | 佐藤 明子 |
1982 | 6月4、5日、日本リージョン設立大会が京都パークホテルとタワーホテルで開催され、初代会長に新木昌子、書記に盛田純子、会計に高柳恭子が選出された。 | |
1983 | 5月30、31日、第1回リージョン大会が名古屋観光ホテルで新木昌子会長によって開かれた。大会コーディネーターは吉田千鶴子が勤めた。 | 隈部 篤子 |
1984 | 1984~1985年度、ITC副会長Div.Ⅵに新木昌子が選出され就任した。日本人の国際役員は初めてであった。リージョン第2副会長は盛田純子が選出された。 | 伊藤 匡子 |
1985 | 第3回リージョン大会で第4代会長に盛田純子、第1副会長に八代ふゆ子、会計に鈴木宏子が就任した。8月1日よりInternational Toastmistress ClubはInternational Training in Communication と改称された。10月6日、白木保子会員死去。11月、追悼会が行われた。 | |
1986 | 第5代リージョン会長に八代ふゆ子、次期会長に高柳恭子、第2副会長に、鈴木宏子が就任した。大会コーディネーターは須知繁子であった。 | |
1987 | 第6代リージョン会長に高柳恭子、次期会長に鈴木宏子、第1副会長に新木昌子が就任した増田はるゑ86歳を機に特別会員になった。1月、例会でITC50周年に敬意を表し、ケーキにローソクをともしてお祝いした。 | 高田 朝子 田中あき子 |
1988 | 6月24日、ITC50周年記念行事に賛同して名古屋 栄のセントラルパークのもちの木広場で雨の中、1000個の風船を打ちげた。第7代リージョン会長に鈴木宏子、書記に鵜飼恵津子が就任した。カウンスルNO.1の分割が例会で取り上げられた。 | 盛田 純子 |
1989 | 日本リージョン事務局を開設、事務局長に新木昌子が就任した。リージョン大会コーディネーターは豊島知子が勤めた。 | 村上 令子 |
1990 | リージョン第2副会長に須知繁子が就任した。高柳恭子はそのITC活動に対して愛知県知事より婦人地域活動者表彰を受け、12月例会でクラブから花の鉢を贈って祝った。2月3日、永年ITCに貢献した八代ふゆ子会員が死去、3月4日名鉄グランドホテルで遺族主催の追悼会が行われ、元会員や他クラブ会員多数が出席した。8月1日、カウンスルNo.1を2カウンスルに分割、東京地区をNo.8とした。No.1会長は豊島知子、No.8会長は堀江祐子が就任した。 | 西村みつ子 佐藤 明子 |
1991 | 5月13日、長島温泉「花水木」での持ち出し例会で増田特別会員の卒寿を祝った。 | |
1992 | 4月6日、飛騨高山クラブと合同例会を高山のひだホテルプラザで開催。新しいマスターマニュアルが完成した8月から盛田純子がリージョン事務局長に就任した。 | |
1993 | 第21期カウンスル会長に高田朝子が就任した。 | 村瀬美與子 |
1994 | 4月、例会をザ・ホテルヨコハマ(横浜)でNo.8の横浜クラブ有志と開催。6月、名古屋クラブ45周年記念例会開催が決定した。委員に吉田、竹内、村瀬が任命された。第22期カウンスル会長に村上令子が就任した。8月、鈴木宏子がリージョン事務局長に就任した。 | |
1995 | 4月、阪神淡路大震災に際し、阪神クラブへ義援金4万円贈った。6月、会員高柳恭子が藍綬褒章を受章、クラブから花束を贈った。7月、名古屋クラブ45周年記念例会を名古屋観光ホテルで開催した。 | 伊藤 匡子 |
1996 | 4月、特別会員増田はるゑ95歳の誕生日を八事のザ・ステージ「石蕗の舎」で祝った。8月、第25期カウンスル会長に竹内宏子が就任した。 | 森 露子 |
1997 | 3月24日、名古屋、東山、浜松クラブ合同例会をホテルナゴヤキャッスルで開催した。8月、鵜飼恵津子がリージョン事務局長に就任した。 | 荒木冨美子 |
11月、例会にゲストスピーカー栗山英紀氏(東海銀行調査副部長)を招き「日本版ビッグバンについて」の話を聞いた。 9月18日、特別会員増田はるゑ死去。11月30日追悼会を盛田邸で行った。 |
石川 浩子 | |
1999 | 1月例会は能楽師の宇高通成氏の講演を聞き、ご自作の能面を拝見した。6月3日、第17回リージョン大会は1日大会で、京都国際会議場で開催された。リージョン第2副会長に村上令子が就任した.7月17日~22日、日本で初めて第58回ITC世界大会が神戸ポートピアホテルで開かれた。大会のコーディネーターは新木昌子で日本の旗手は神谷啓子会長が勤めた。 | 神谷 啓子 |
2000年以降、資料整理中