創設の背景と進歩の歴史

もし、私たち皆が、自分の努力の限界を認識して、最善を尽くし、あるいはその限界の幅を少しでも広げようと努力すれば、そして、もし私達のクラブやITCをとおして、他の人びと全てに私達の得た経験を自由に使ってもらえれば、その時、この組織は無限の可能性と女性の歴史と進歩と向上に計り知れない大きな役割を演じることでしょう。

これは、ITC初代会長アーネスティン・ホワイト女史の言葉です。
彼女は、未来への展望として、国際組織を作るという夢の種をまきました。ホワイト女史の夢は、1938年に実現しました。それから1年後、最初の大会が開かれるまでにアメリカ合衆国では、大部分は中西部および西部ですが、それらの地区で20ものクラブが設立登録されました。

1938年に、カリフォルニア州に法人として設立されたものに続いて、この組織の会則に「宗教・人種・経済・社会・政治のどの部分にも偏見を持たずに自由に促進し開かれた討論を目指す」という方針を打ち出しました。口頭表現の技術を通じ、指導性や責任を持って社会に貢献するというこの信条が、一貫して組織の成長を促進しています。
マガジン「トーストミストレス」の発行は、1938年12月に始まりました。翌年の初頭、1939年にカリフォルニアのサンノゼで最初の大会の招集を実行させました。「私達は言葉を愛し、優雅且つ流暢にそれを用いる。」というITCのモットーは、 1940年のカリフォルニア州サンタバーバラの大会で正式に採択されました。

1942年の第4回年次大会から、スピーチコンテストが開始されました。1946年にはカナダで最初のクラブが結成され、1948年にはスコットランドで最初のクラブが設立登録をしました。このように成長をし続けた結果として、1948年に6リージョンを設立するまでに至りました。それ以後も拡大の要求によりリージョンはずっと増え続けています。1968年に初めての大会をアメリカ合衆国の外へ出て、カナダのアルバータ、カルガリーで開催しました。

ITCへの興味は、全世界の国に人々に広がっています。オーストラリアは急速な会員の増加を経験したため、1960年に北米以外の場所としては初めてリージョンを設立するまでに至りました。同様の形で、1970年代の初めには英国とニュージーランドに、そしてアフリカにリージョンができ、1980年代の初めには日本がこれに続きました。このように組織は国際的な様相を強め、その影響の範囲を広げました。この成長図式は、1985 年のアイルランドリージョンの結成にも及んでいます。

今日、ITCは達成という言葉と同意語です。アーネスティン・ホワイト女史がしっかりと植えつけたその当時の組織は彼女と同年代の人びとのたゆみない努力により国際的団体に発展し、伝達の訓練を求めている世界中の人達に友情のきずなを提供しています。

1984年7月、テキサスのダラスで開かれた第43回年次大会で、派遣員により重要な決定がなされました。それは派遣員がこの組織の名称を変更するという決議に票を投じ、名称が「インターナショナル トレーニング イン コミュニケーション」と変更されたことです。1985年、マガジンの名称も「ITCコミュニケーター」となりました。

2003年、南アフリカのダーバンで開催された第62回ITC大会では、カリフォルニア州アナハイムの事務局を廃止し、今後の事務業務はニュージーランドのタウランガで実施されることが発表され、ITC大会は隔年開催と決議されました。
2005年、アメリカのボルティモアで行われたITC大会は密度の濃いものとなり、教育も充実して成功を収めました。
2007年、オーストラリア、ブリスベンでのITC大会では、ITCが現代の社会になお一層溶け込めるよう、”POWERtalk International"というブランド名を附加することが発表されました。
2009年、初めての試みで、アラスカクルーズを楽しみながらの船上ITC大会が開催されました。
2010年、日本で初めてInternational Training Weekendが日英両国語で、日本(神戸)で開催されました。


ITC-J日本リージョン ITC-JカウンスルNo.1